# 岩崎城 歴史動画用 調査メモ

調査日: 2026-05-16  
対象: 愛知県日進市・岩崎城、丹羽氏、小牧・長久手の戦い、周辺文化財

## 1. まず押さえる結論

岩崎城は、日進市に残る中世城郭の遺跡で、土塁・空堀・土橋などの遺構が比較的よく残る。尾張と三河を結ぶ交通の要所にあり、戦国期には尾張東端の境目の城として機能した。

動画の主軸にできるのは、天正12年（1584）の「岩崎城の戦い」。羽柴秀吉方の三河中入軍が徳川家康の本拠・岡崎を狙う途中、岩崎城で足止めされた。城は落ち、城代の丹羽氏重らは討死したが、この遅れが長久手での徳川・織田方勝利につながったと語られている。

ただし、丹羽氏重の発言や細かな戦功評価は後世の軍記・家譜系史料に依存する部分がある。動画では「確実な史実」と「伝承として語られる話」を分ける。

## 2. 岩崎城の基本情報

- 所在: 愛知県日進市岩崎町市場。現在は岩崎城址公園・岩崎城歴史記念館として整備。
- 地形: 尾張丘陵の丘陵突端部。日進市公式の文化財データでは平山城、比高約40m、東西約150m・南北約180m規模。
- 遺構: 土塁、空堀、土橋、井戸、礎石建物、掘立柱建物、柵、排水溝、製鉄炉、炉、貝塚、古墳など。
- 本丸跡には6世紀前葉と推定される古墳の遺構もある。戦国以前から地域の有力者に注目された場所だったことを示す要素として使える。
- 現在見える天守風の建物は、昭和62年（1987）に城址公園整備の中で建てられた展望塔で、戦国時代の天守が復元されたものではない。動画では誤解させない。

## 3. 城の成立と丹羽氏

築城年代は確定していない。日進市・岩崎城公式サイトでは、織田信秀の支城としての記録が古いとされ、荒川頼宗が守備していた城を、享禄2年（1529、年代は諸説あり）に三河の松平清康が尾張進出の足がかりとして攻め落としたと説明されている。

その後、清康は天文4年（1535）の守山崩れで殺害され、松平勢の尾張侵攻は後退する。この空白の中で、日進周辺の土豪である丹羽氏清が岩崎城に入ったとされる。以後、丹羽氏は約60年間、四代にわたり岩崎城を居城とした。

丹羽氏の系譜について、岩崎城公式サイトは「丹羽家譜・三草本」「丹羽氏軍功録」などに一色氏流とする伝承がある一方、実際には古代尾張国丹羽郡一帯に住んでいた豪族の子孫ともされる、と整理している。

丹羽氏の主な流れ:

- 氏従: 折戸に城を築いたとされ、丹羽氏の日進進出の起点。
- 氏員: 本郷へ移る。
- 氏興: 藤島に城を築く。
- 氏清: 岩崎城へ入る。
- 氏識: 横山の戦いで藤島城主・丹羽氏秀側と争う。
- 氏勝: 信長に従い、六角攻め、北畠攻め、姉川の戦いなどに参加したとされる。
- 氏次: 小牧・長久手の戦いで徳川方につき、関ヶ原後に三河国伊保1万石の大名となる。
- 氏重: 氏次の弟。岩崎城の戦いで城代として討死した人物。

## 4. 岩崎城の戦い

背景:

- 天正10年（1582）、本能寺の変で織田信長が死去。
- 羽柴秀吉は山崎の戦い、賤ヶ岳の戦いを経て勢力を拡大。
- 信長の次男・織田信雄は秀吉に対抗し、徳川家康に援軍を求めた。
- 天正12年（1584）3月、小牧・長久手の戦いが始まる。

三河中入:

- 秀吉方は膠着状態を破るため、別働隊で家康の本拠・岡崎を狙う「三河中入」作戦を実行。
- 作戦ルート上に岩崎城があった。
- 長久手市観光交流協会のガイドでは、池田恒興隊、森長可隊、堀秀政隊、三好秀次隊などが中入軍として説明されている。

岩崎城で起きたこと:

- 当時の岩崎城主・丹羽氏次は徳川家康の軍に加わり、城は弟の丹羽氏重と長久手城主・加藤景常に任されていた。
- 4月9日早朝、岩崎城付近を通過する池田軍に氏重側が攻撃を加えた。
- 岡崎へ急ぐべき池田軍は岩崎城攻撃を決断し、城を落とす。
- 岩崎城側は200余名、または300余名とする説明があり、城兵はほぼ壊滅したとされる。
- その間に徳川方が中入軍を追撃し、長久手で決戦となる。
- 長久手では池田恒興・池田元助親子、森長可らが戦死し、徳川・織田方が勝利した。

動画での言い方:

「小さな城が天下の流れを変えた」と言える構図は強い。ただし断定しすぎると危険。安全な表現は「岩崎城での抵抗が、羽柴方の中入軍を足止めし、長久手での徳川方勝利につながったと伝えられている」。

## 5. 発掘・遺構から見えること

1985年3月4日から9月17日にかけて、城址公園整備を目的に約1,902平方メートルが調査された。1987年に『岩崎城跡 発掘調査報告書』が刊行されている。

主な遺構:

- 礎石建物
- 土坑
- 柵
- 掘立柱建物
- 排水溝
- 製鉄炉
- 炉
- 貝塚
- 井戸
- 空堀
- 古墳
- 土塁
- 土橋

2010年5月25日から7月5日には、第4次発掘調査として約300平方メートルが調査され、2011年に『岩崎城跡』瀬戸市埋蔵文化財センター調査報告43として刊行されている。古墳時代の須恵器・石製品・鉄製品、戦国期の土師器・陶器などが記録されている。

現地で絵になる遺構:

- 空堀: 初期には薬研堀、16世紀半ば以降に防御性の高い箱堀へ改修されたと説明されている。
- 土橋: 本丸と馬出をつなぐ狭い通路。敵を限定された経路に誘導する装置として説明できる。
- 櫓台: 標高66.28m。発掘で版築により約5.5mの人工盛土が確認された。
- 隅櫓跡: 本丸東南の張り出し部分から見つかった礎石建物。四間×四間の建物とされる。
- 井戸跡: 直径約2.4mの素掘り井戸。
- 岩崎城古墳: 6世紀前葉の円墳。城より約1000年前の土地利用を語る導入に使える。

## 6. 日進市・岩崎の古代背景

岩崎城公式サイトの日進市史概説では、日進市は尾張丘陵の中にあり、瀬戸層群と呼ばれる地層、粘土層、森林資源に恵まれていたことから、古代から中世にかけて窯業が発展したと説明されている。

岩崎・折戸周辺は猿投山西南麓古窯跡群、通称「猿投窯」の一部。日進市内では約160基の窯跡が確認されている。岩崎24号窯出土の緑釉陶器、陶印「両村」などは、岩崎城歴史記念館で実物を見るべき素材。

動画構成では「この丘は戦国の城だけではない。古墳、古窯、街道、交易が重なった土地だった」という導入にできる。

## 7. 史料上の注意点

要確認・慎重に扱う点:

- 築城年代: 不明。織田信秀の支城、松平清康の攻略、丹羽氏入城の順は語られるが、年代には諸説がある。
- 丹羽氏入城の時期: 日進市公式ページの概要では「文明年間」とある一方、詳細説明では天文年間・守山崩れ後として説明される。動画台本では「天文年間、16世紀前半」とするのが無難。必要なら日進町誌・発掘報告書で確認する。
- 城兵数: 200余名、300余名など表記差がある。断定せず「200から300ほど」とするか、出典ごとに分ける。
- 加藤氏の表記: 岩崎城公式の人物紹介では「加藤景常」、長久手市観光系資料では「加藤忠景」とする表記が見える。同一人物として扱われることが多いが、台本前に『長久手町史』などで確認する。
- 氏重の年齢・発言・病身だった話: 丹羽氏軍功録など後世史料に由来する可能性が高い。ドラマ性はあるが「伝承では」と添える。
- 家康が氏重を「一番の戦功者」と評した話: 岩崎城公式サイトにも載るが、一次史料かどうかは確認が必要。断定より「そう伝えられる」が安全。
- 現在の城型建物: 展望塔であり、当時の天守復元ではない。

## 8. 動画のストーリー案

案A: 「家康を救った小さな城」

1. 現在の岩崎城址公園。静かな丘、空堀、土橋から始める。
2. ここは尾張と三河を結ぶ街道の要衝だった。
3. 織田・松平・丹羽氏の境目の城として揺れる。
4. 1584年、秀吉方が家康の本拠・岡崎を狙う。
5. 岩崎城の城代・丹羽氏重が通過する池田軍を止める。
6. 城は落ちる。しかし時間を失った中入軍は、長久手で家康に追いつかれる。
7. 池田恒興・森長可が討死。小さな城の抵抗が大きな勝敗につながった。
8. 最後に、空堀・土橋・古墳・記念館の展示で「現地に残る証拠」を見せる。

案B: 「岩崎城は本当に天下を動かしたのか」

1. よくある伝説から入る。
2. 発掘調査と日進市公式資料で、城の実像を確認。
3. 後世の軍記・家譜が作ったドラマ部分を検証。
4. それでも岩崎城が戦略地点だったことは動かない、と締める。

## 9. 現地撮影・素材化したい場所

- 岩崎城址公園の全景
- 展望塔岩崎城。ただし「模擬天守・展望塔」と説明する
- 空堀を下から見上げる映像
- 土橋を渡る一人称視点
- 櫓台からの視界
- 隅櫓跡
- 岩崎城古墳
- 古城之碑・表忠義碑
- 岩崎城歴史記念館の展示、可能なら許可を取って撮影
- 妙仙寺、慈眼寺、白山宮、香久山古窯など周辺文化財

## 10. 次に確認したい文献

オンライン確認済み・優先:
※発掘報告書2件は、現時点では全国文化財総覧/CiNii上の公開メタデータを確認。本文の細部は図書館・記念館で現物確認する。

- 岩崎城公式ウェブサイト「岩崎城の歴史」
  https://www.mf.ccnw.ne.jp/iwasakijo/iwaskijonorekisi.html
- 岩崎城公式ウェブサイト「岩崎城の戦い」
  https://www.mf.ccnw.ne.jp/iwasakijo/tatakai.html
- 岩崎城公式ウェブサイト「丹羽氏について」
  https://www.mf.ccnw.ne.jp/iwasakijo/niwa.html
- 岩崎城公式ウェブサイト「岩崎城の戦い」人物紹介ページ
  https://www.mf.ccnw.ne.jp/iwasakijo/iwasakijo.b.html
- 岩崎城公式ウェブサイト「岩崎城・日進の歴史」
  https://www.mf.ccnw.ne.jp/iwasakijo/nissinnorekisi.html
- 岩崎城公式ウェブサイト「岩崎城周辺の文化財」
  https://www.mf.ccnw.ne.jp/iwasakijo/syuhen.html
- 日進市「にっしんの文化財」
  https://www.city.nisshin.lg.jp/purofuiru/6575.html
- 日進市「にっしんの戦国時代」
  https://www.city.nisshin.lg.jp/department/shogai/manabi/4/2/3/3009.html
- 全国文化財総覧「岩崎城跡 発掘調査報告書」1987
  https://sitereports.nabunken.go.jp/42451
- 全国文化財総覧「岩崎城跡」瀬戸市埋蔵文化財センター調査報告43、2011
  https://sitereports.nabunken.go.jp/42240
- CiNii Research「岩崎城跡第4次発掘調査報告書」
  https://cir.nii.ac.jp/crid/2120026414470741120
- 長久手市観光交流協会「小牧・長久手の戦いから見る天下取り」PDF
  https://www.nagakute-kanko.jp/wp-content/uploads/2024/04/kassenguide_202404_mini.pdf
- 城びと「岩崎城」記事。岩崎城歴史記念館学芸員による解説。
  https://shirobito.jp/article/774

図書館・記念館で見たい文献:

- 武田茂敬『岩崎城の戦』日進町教育委員会、1981年
- 岩崎城跡発掘調査団『岩崎城跡 発掘調査報告書』日進町教育委員会、1987年
- 財団法人瀬戸市文化振興財団『岩崎城跡』瀬戸市埋蔵文化財センター調査報告43、日進市教育委員会、2011年
- 『日進町誌 本文編』
- 『日進町誌 資料編一』
- 『日進町誌 資料編五 猿投窯』上下
- 『日進市の文化財』
- 『長久手町史 資料編六』
- 『長久手町史 資料編六 解説書』
- 『愛知県史』該当巻
- 『日本城郭大系 9 静岡・愛知・岐阜』
- 『丹羽氏軍功録』
- 『丹羽家譜・三草本』
- 『岩崎并長久手軍記』
- 『長久手合戦記』
- 『当代記』
- 『家忠日記』
- 『張州府志』
- 『尾張志』

## 11. 仮タイトル案

- 「家康を救った200人の城、岩崎城」
- 「秀吉軍を止めた日進の小さな城」
- 「岩崎城の戦い: 小牧・長久手を動かした30分」
- 「土の城が語る戦国史、岩崎城」
- 「日進の丘に残る、天下分け目の前哨戦」

## 12. 次作業

1. 『岩崎城の戦』と『日進町誌』を図書館・岩崎城歴史記念館で確認し、氏重の人物像・城兵数・戦闘時間の根拠を詰める。
2. 現地撮影可否、展示物撮影可否、写真素材利用可否を岩崎城歴史記念館に確認する。
3. 台本用に、3分版・8分版・15分版の構成へ展開する。
4. 地図素材を作る。犬山城、小牧山城、岩崎城、岡崎城、長久手古戦場の位置関係が必須。
